小学生の塾通いは本当にかわいそうですか?甘えた感情論を切り捨てる

「小さいうちから塾なんてかわいそう」

そう口にする人は少なくありません。しかし、その考え方こそ、子どもの未来を縛りつける“本当のかわいそう”ではないでしょうか。

遊びや自由時間が大切なのは当たり前です。でも、「塾に行かせるのはかわいそう」なんて、ただの親の自己満足にすぎません。
子どもの将来を本気で考えるなら、耳ざわりのいい感情論を信じるのをやめるべきです。

感情論ではなく根拠をもって考える「かわいそう論」

例えばサッカーに夢中な子が、毎日ボールを蹴り、週に4回もチーム練習に通っていると、周囲は「すごい!」「エライ!」「頑張ってるね!」と拍手を送ります。

いっぽう、塾に週3回通う子には「大変だね」「かわいそう」「そんなに勉強ばっかりしても・・・」と眉をひそめる。

なんか、おかしくないですか?

「そんなにスポーツ(または芸術)ばかりしていても・・・」
とは言わないのに、

勉強に関してだけ、
「そんなに勉強ばっかりしててもアカンで」
という風潮がありますよね。

東京大学社会科学研究所の調査では、小学生のうちに学習習慣を身につけた子は、中学以降も自ら学び続けやすいと報告されています。
つまり、適度な通塾、または通塾でなくても勉強習慣の確立は未来への投資になります。

「勉強させすぎはダメ」なんて当たり前。
けれど、週に1~2回の塾通いを「かわいそう」と言う人は、ただ学びの価値を知らないだけなのです。

子ども自身の意思と納得を尊重する通塾の姿勢

「親が無理やり通わせてるんですよね?」

これもたまに聞く批判です。でも現実は違います。
体験授業を受けて「ここなら頑張れる」と決めるのは子ども本人。親がどれだけ勧めても、嫌なら通いません。

心理学の世界でも証明されているように、自分で選んだことは長続きします。
塾に通っている子は「自分で選んだからやる」と思っているケースがほとんどです。だからこそ頑張れる。
もしそれでも「かわいそう」と言うなら、それは子どもの現実を知らない大人の勘違いであり、上から目線にすぎません。

読解力不足のほうが、将来よほど「かわいそう」

どの科目でもよいですが、勉強を重ねると読解力と語彙力を高めることができます。
ここで得られるはずの読解力と語彙力がないまま大人になることは、「かわいそう」ではないのでしょうか?

有名な読解問題があります。

  • 幕府は1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
  • 1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

この二つの文は同じ意味でしょうか。

答えは「違う」です。
ところが中学生の正答率は57%しかありません(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』新井紀子)。
なんと、半分近くが読めないんです。いや、読めることは読めます。日本語として発音はできますから。
でも、内容は掴めないのです。

これを「大丈夫、かわいそうじゃない」と言えますか?
入試どころか、将来社会に出ても契約書やマニュアルすら理解できない可能性がある。そんな未来のほうが、よほど「かわいそう」でしょう。

読解力と語彙力を広げる学びは幸せにつながる

学びに夢中になる子どもを「かわいそう」と言う人は、夢中になることの意味を少し取り違えているのではないでしょうか。
サッカーで毎日汗を流す子には、「かわいそう」と思わないのに、
勉強に夢中な子には「かわいそう」ですか?
矛盾していますよね。

人はだれでも、「少し難しい課題」に挑戦するときに最も成長します。まさに塾はその場なのです。
そして語彙力がつき、読解力が高まり、世界が広がると、自分の考えを言葉で表せるようになる。
これ以上に「幸せ」なことがあるでしょうか。

私が見てきた子どもたちも、「先生、これ知ってる?」と目を輝かせる瞬間があります。
それは無理やりにさせられている子の顔ではありません。純粋に「楽しい」という顔です。

学びは決してかわいそうなことではあり得ません。
むしろ「幸せいっぱい」になるためのものなのですよ。